けいのテクテク暮らし

一度きりの人生、やりたいことに挑戦、けいの備忘録

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けいの働き方

9月に変わった事

9月2日、今日は悲鳴を上げました。

最高気温37度突破!!

何、こちらではあたりまえよ!と怒られるかも知れませんが、こちらでは右往左往です。

昔、けいが幼少の頃は30度以上の日は珍しい土地柄、それが37度以上なんて驚愕です。

観測史上初らしい、これはまた塗り替えられる可能性大ですが。

 

そんな日ですが、1日にブログに書こうとしていた内容を今日書きます。

昨日、違うブログになってしまいました。

 

9月から、けいのお仕事時間が変わります。

お休みの日が増えて、1日働く時間が長くなります。

毎回ではありませんが、日によって仕事量が違いますので、10日ぐらいかな?

7.5時間、フルタイムまであと30分です。

 

ラカンなのにと思う方もいらっしゃいますよね。

本人もちょっと躊躇しましたが、世の中の人手不足がもちろん職場にも影響しています。

デスクワークなので、体力的には自信がありませんが、やり慣れている仕事の延長と楽観的に考えて了承しました。

3時間からスタート

今の仕事は、下の子が小学生になってから始めました。

結婚する前は、フルタイムの正社員、結婚後は転勤族の妻になり、いろんな街に住みました。

子供達の母子手帳は、別々の市町村です。

 

色んな街に住むのは楽しかったんですが、子供の進学を機に無理のないローンを組んでお家を建てました。

今も昔も家を建てるのはドキドキですね。

私たち夫婦は話し合って、街の片隅に公共交通機関がしっかりある狭い土地に小さい家を建てました。

公共交通機関は、小中は地域で通いますが、高校になれば通いやすさが違います。

また、夫婦で歳を取れば、車だって手放す時がきます。

その時、公共交通機関が近ければ助かると考えました。

家族が多い時は、手狭な小さい家ですが、子供達は独立して出て行きます。

夫婦2人で暮らすには十分過ぎます。

 

いざ、引っ越したら、旦那さんの転勤で単身赴任となり、2世帯だとお金がかかるのを知りました。

家を建てると、転勤になるのは、あるあるですね。

なので、数十年ぶりに職探しを始める事になりました。

 

初めは働けるか心配なので、3時間ほど飲食店で短期のアルバイトをしました。

半年、お昼には帰ってきての暮らし、洗濯物はそれから干してなんてあたりまえの生活です。

でも働けるかなと、自身もついて、半年契約だったのでそちらを辞めて、今の職場に入りました。

 

今の職場は、4時間からスタート。

上の子達はそれなりに大きくなり、でも下の子に鍵を持たせるのは心配なので、その時間になりました。

それから10年以上、歳月の流れは早いですね。

 

子供の成長に合わせて、下の子が高学年になる頃、5時間勤務になり、それから6時間勤務となり、とうとう7.5時間勤務になりました。

働き方はさまざま

よく、けいのような人間を使ってくれると、日々思っています。

10年以上働けるのは、職場の環境が1番ですが、もちろんハラスメントに接触する人もいました。

色んな人がいますから、怒鳴られたり・意地悪をされたりなんて経験済です。

それで、辞めたりする人もいます。

 

 

よく、働いていると考えた事もありますが、何を言われてもスルーする力はつきました。

世の中、どこに行っても、良い人もいれば悪い人います。

職場だってそうです。

 

そこで考えるのは、何が1番大事なのか?

けいは家庭が大事です。

昨今、専業主婦が肩身が狭いと聞きます。

けいは、敢えて結婚後は専業主婦になりました。

自分が、機能不全家族育ちで、小さい頃は食べる物もなく困ったからです。

 

普通とは言えない家庭、父方に家で育ちました。

片田舎なので祖父・父母・弟、祖母は父が小さい頃の亡くなっています。

両親は、正社員でフルタイム、何が機能不全?と思いますよね。

5人家族なら、そう見えますが、実家には昔から親族の独身女性が同居していました。

今思い出しても行動や言動は、発達障害を疑うほどおかしかったです。

その後、離婚して追い出された親族男性も加わり、とても不十分な生活を強いられました。

 

『片田舎だから、実家に引き取るのはあたりまえ!』

そう言ったのは、外に嫁いだ祖父の姉でした。

引き取っても祖父の姉は、自分が家族と実家に帰省するときは、その親族達は違う家にやります。

実家は、そんな親族ばかり、問題を起こす人間は実家に押し込め、丸投げして文句ばかりでした。

その結果、一緒に住むしかない人間の事など、気にしません。

 

親族の女性は、本人は家事していると自負していましたが、まったく料理できずでした。

炊飯器も水目盛り理解できず、出汁でお味噌汁すら作れません。

けい、よく餓死しなかったとしみじみ思います。

その頃から、保育園の整備が進み、保育園で生かされていたのは間違いありません。

 

でも小学生になると、長期間休みがあり、常に空腹でお友達に家などで食べたり、今で言う放置子(ほうちご)状態です。

昔はそんな名前はありませんでしたが、さぞや話題にはなっていたと思います。

今なら児童相談所案件です。

小学生も上になるにつれて、自分で自炊できるようにはなりましたが、大変でした。

 

それを体験して、自分の子供には、たくさんご飯を食べてほしい。

健康的に過ごしてほしい気持ちが常にあり、専業主婦を選びました。

 

なので、ちょっと最近の専業主婦叩きにウンザリ気味です。

護るべき家族を蔑ろにして働くなら、そちらがいかがなものかな…と思うアラカンです。

 

もし、働きたいと思っている方がいらしたら、焦らずにと言いたいです。

仕事はあります。

好き好みさえしなければ、嫌な人がいたらスルーして、健康であれば大丈夫です。